しばらく前に、父親が亡くなった。 悪性リンパ腫という癌の一種で、骨髄移植なども試してみたが、結局転移して、2年半過ごした病院と、51年過ごしたこの世から去っていった。
父親の残したものは、以下の通りだ。
家を含む財産。 看病で運動不足に陥り、息子ですら誰か分からないほど太った母親。
俺と弟の二人の息子。 一時回復し、半年ほどの退院中に買ったはいいが、容態急変により一度も乗らず、ローンが100万ほど残った新車。
臨終の際に帰宅すると、突然車種が変わっていたのに呆れた。
よく分からない親父だったが、通夜の際には平日の夕方ごろだったにも関わらず、会社の同僚が40人近く参列してくれた。
会社から直接来たと思われる。 全員が作業着のままでの参列だった。
その中の一人は、親父の幼馴染だったらしく、その写真の前で手紙を読み上げていた。
長男ということで、式場から手渡された用紙を参考に、俺も挨拶をすることになったが、運悪く、親父の死んだ日からインフルエンザにかかり、39度の熱を出していた俺は、上手く言えたかどうかも覚えていない。
通夜・葬式などの『儀式』では、どうにも自分の意識の中で、感情の動きを感じなかった。
ただ、入院中の、まるで別人のようになった父と母の姿と、母方の祖母から聞いた父親の言葉が思い出された。
「お父さんね、意識がはっきりしてる時、おばあちゃんに『ごめんなさいごめんなさい』って、何度も謝ってたんだよ」
何に対して謝っていたのか、どうにも聞くことが出来なかった。 ただ、どうにもやり切れない想いだけが残った。
親父がもう、言葉も出せなくなった頃、なかなか行くことの出来なかった見舞いへ行った。
以前に見舞った時には、自分がどういう病気か知ってるのか聞かれた。 親父も俺も知っていたが、行く度に同じ事を聞かれた記憶がある。
ただ、もう回復しないと言うことは誰も言わなかったし、親父ももう聞いたりはしなかった。
が、最後の見舞いの時はもう、親父は何も喋ることは出来なくなっていた。
病室に誰もいなくなったのを見計らって、俺は、それまで言いたかった事などとは別の事を、手を握りながら親父に言った。
親父はただ目を心なしか見開いて、呼吸を荒げた。
「俺はもう、大丈夫だから」
その1週間後、親父は死んだ。 何も見返す事が出来なかったのが、悔いだ。
俺はまだ、どこも大丈夫じゃない。
自堕落の限りを尽くしてみたら、気づくと1年以上経っていた。 お久しぶり。
大学卒業後、気づけばフリーターになっていた俺は、名古屋駅まで徒歩10分、高島屋ビルが見えるマンションに部屋を借り、何度か電気・ガスを止められつつも、つつがない生活を送っていたが、このたび遠くに引っ越した。
働いていた店が閉店したのだ。
ただ、閉店といってもオーナーが新しい店を開店したので、なんとか生活には困らない。
新しい部屋は、山の中だ。
周囲を見渡せば広大な田畑が広がり、地平線が見える。 知り合いのディーラーから買った古い原付き『モンキー』でひた走ると、コンビニがある。
…コンビニが便利だと感じるようだと、そこは間違いなく田舎なのだと知った。
部屋には犬が一匹。 馬鹿犬『ノリ』は箱に詰めてハカタの街に送り、現在残っているのは、老犬キャンディ。
今は背後で爪の手入れをカチカチしてる。 気分はもう同棲だ。
ああ、ノンビリしたイナカグラシ。 40過ぎた頃サラリーマンなどが憧れるという山の中の暮らし。
八畳一間と六畳半のスウィートな部屋の空気は…犬の臭いがした。
*久々の文章練習、今日はおしまい*
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